紙類はほとんど処分したとこのブログでも書いていますが、実は長い間引き出しで出番を待ち続けている紙類がまだありました。
お土産でもらった和紙(実は自分で買ったものも…)です。
普通のメモ紙やノートと違って上質な紙という「ありがたみ」で逆になかなか使うに至らない和紙。
「いつかとっておきのタイミングで…」なんて思っているのですが、5年、10年、それ以上たっても未だ出番は来ず今に至ります。
消耗品?
物を買うとき、人様に物を差し上げる時、「残るもの」と「使えばなくなるもの」でまず考えると思いますが、こういった紙類がいつの間にか手元に増え続けているのは、紙類が「消耗品」という認識があるからなのかもしれません。
実際、紙類は一度きりしか使えないです。
だから、いくらあっても困らないから…と気軽にあげてしまうんでしょう。
それに「和紙の里」みたいな観光地に行ったら、上記のような理由で「綺麗な和紙」や「実用的な和紙」をお土産に選ぶのはごく自然なことでしょう。
(自分が買ったのもこの理由)
でも、なかなか使えないんですよ。実際は。
職人さんの技や手間、原材料の貴重さを知ってしまうと、”つまんない使い方はできないぞ”なんてプレッシャーで…。
だから、ただ捨てようにも捨てづらい。
王道の和紙の使い方
書道の達人だったら、座右の銘でもさらさらっとしたためて額にでも入れておけば素敵だし、和紙としてもとてもいい使い方だと思うんですが、私の場合、とても眺めるような字ではありません。
手先の器用な人なら和紙を使ってうちわや照明器具などの小物を作って、和紙を存分に活かした使い方もできるでしょう。
でも、私はそういうタイプでもない。
さらに持ち物の好みとしても、ちょっと私の守備範囲から外れている。
紙類全てを消耗品扱いするべきではない
日頃からよく使って、常々補充しなければいけないものは「消耗品」と呼ぶに相応しいのでしょうが、なかなか使えないものはもはや「消えもの」ではありません。
よくよく考えてみると、なんか意外ですよね。
私が絞り出した使い道
自分にとって「いる・いらない」を見極めた後手放す手段として、誰かにあげるとか買い取ってもらうという方法があります。
でも、中途半端なものの場合(古いとかまとまりがないとか)なかなかそうもいきません。
実は和紙類ですが、過去にもっとありまして、それはどうにか知恵を絞って消費しました。
引き出しの匂い袋がわり
実は他にも和紙があったんですが、それはすでに消費しました。
裏表なく鮮やかな色をにじませているタイプの和紙でした。
少し厚みがあって毛羽立っているタイプで、ちょっと揉んだら柔らかくなるような和紙です。
それは何かを書くには色使いが強くて文字が見えないし、質感自体も何かを書くタイプではないっぽいし、ラッピングするにはサイズが小さいものでした(でも折り紙よりも大きい)。
ちぎり絵にでも使うものだったのかもしれません。
綺麗は綺麗なんですが…。
これは鶴を折って香水を吹きかけて引き出しに入れ、衣類にほのかに匂いを移すアイテムとして使いました。
時間が経って鶴がくたびれてきたら捨てて、新しいのを作る…。
これでなんとかその和紙は無事に使い切りました!
ちょっとした達成感です。
仕分け結果
捨てづらい、何年か持ってみたけど結局活かしきれなかった。
何度かの”持ち物見直し”をくぐり抜けてきたこの紙類ですが、少々もったいない使い方でも頑張って使って処分することにしました。
それは、四角い紙はメモ用紙として、葉っぱの形でちょっと凝ったものは上記と同じく引き出しに敷いてほのかに匂いをつけるアイテムとして。
使い道としては「花粉症用のしっとりティッシュでテーブルの汚れを拭く」くらい、無駄に贅沢な使い方なのですが、”もったいない”と”使わない”と”人にあげられない”の間をとってこうすることにします。
散々「持て余してる」的な発言をしてきましたが、だからと言って「和紙の存在」そのものを否定しているわけでは決してありません。
日本が誇る素晴らしい伝統ですし、継承しなければ途絶えてしまう。
”然るべき使い道で”いつまでも存在して欲しいと思っています。
ただ、おいそれと”素人”が手を出せる代物ではないのかもしれない、という考察なのでした。
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