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【2回目】映画「忍びの国」を見ました。見ればみるほど面白くなる!

嵐/J関連

映画「忍びの国」を見ました。2回目になります。
端的に言うと、更に楽しめました。
見れば見るほど気づくことがあって、丁寧に作られた作品なんだなと感じました。

1回目の感想はこちら

↓今回もネタバレを含んでおります。ご注意ください。

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この作品世界の常識…のようなもの

前回で伊賀者の特性がわかったので、今回はそれを”この作品世界の常識として”見ることができた為、平兵衛がいかに特殊な存在だったか、とか、無門の変化がどれほどの振れ幅だったのかが、頭でなく、感覚的に伝わってくるように思いました。

おそらく私は、まだ1回目では、伊賀者の特性(人を人とも思わないところ。死に対してあまりにも何の感情も持たないこと)を受け入れるのに結構時間がかかっていて、それが結構後半まで引きずってたようで、驚くべきところで、感情的についていけてなかったのだと思います。

現代の自分たちから見たら、”つまらない小競り合いで弟を亡くしたり、それをまた誰も(親でさえも)悼まないこと”を異常に思う平兵衛の方がよっぽどまともに思うのですが、伊賀では逆に、どれほど変わり者の発想だったかということ。

無門も生粋の伊賀者であったのに、お国という大事な存在を持ってから、その人を守ったり、心配したり(何の報酬もないのに!)するようになっていくということが、どれほどの変化かということ。
またそれらについて、同郷であるはずの伊賀者からは、あまりにも理解されないこと。

そんなことが、すんなりと感じられるようになりました。

無門と平兵衛

大膳の言葉によって平兵衛が、”自分の意志で変革を起こそうとしていたつもりだったのが、実は十二家評定衆の策で踊らされているだけだった”とわかった時の虚しさ、怒りがすごく伝わってきました。
平兵衛も一見、唯一まともなようでいて、実は”伊賀者を根絶やしに!”なんて過激な発想を持つようになる、なかなかの性格(笑)ですが、本当に一人、孤立しているようで、すごく悲しい人に見えました。

弟の仇である無門に対しても、”共に十二家評定衆に踊らされたもの同士”、という感情を(少しは?)持てると思ったのに無門には全然共感してもらえず、結局伊賀者同士の決闘(「川」)をするしかなくなったんだろうな、と思います。
せっかく織田軍を退けることができたのに…。
なんて悲しい。

無門と平兵衛の死闘の末、平兵衛の死の間際、無門が「もう怒るな」と言ったのは、”平兵衛のため”だと思いますし、それもまた無門の変化なんだろうなと思えました。

平兵衛には怒るなと言ったのに、自分も何だか「無性に腹が立って」十二家評定衆に殴り込みに行く無門(笑)。やっぱりちょっとは影響を受けてる。
人らしく、男らしくなっていくところ、ドキドキしました。

これがまた、十二家評定衆が「究極の人でなし」みたいなものですから、見る方は「行け行け〜!」って思っちゃいます。
でもこれが結果、お国さんを失うことになってしまうとは…。
悲しい。

最後のナレーションが、無門が引き取ったネズミ(ネズミと呼ばれる、伊賀に買われてきた子供。お国さんがずっと気にかけてきた)だったとわかった時は、ちょっと和みました。
無門はどんなお父さんになったんだろうな〜、なんて考えたりして。

もっと色々…

・冒頭で殺されてしまう、北畠具教。短いシーンだったけど、説得力があって印象に残る凄まじいシーンでした。威厳があって格好良かったです。
だから、その家臣だった大膳や左京亮も、それぞれ信念や男気がある人なんだろうなと瞬間にイメージできました。

・信雄の感情もものすごく伝わってきて、印象的でした。信雄が自分を家臣にさらけ出したシーンを見て、やっぱり人とは腹を割って話さなきゃダメだな、なんて思いました。

・アクション全体は、やっぱり早いのは早いですが(笑)、やはり2回目ということもあって、多少は目が慣れたようです。そして、改めて凄いの一言。

余談ですが…

嵐のコンサートグッズで2016年のカレンダーを、日付を隠してまだ飾っているのですが(^^;)、ちょうど今現在の7月の写真はメンバー全員が忍者の扮装をしている月です。
大野忍者、お堀で釣りをして長靴を釣り上げてしまっています。
これが発売されたのが、2015年の年末。
何だかびっくりしてしまいます。

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