新年あけましておめでとうございます。
2018年になりました。
年が改まって気持ちも新たに何か目標でも、なんて、ふと思いがちにもなるのですが、最近はそういうのもやめようと思っています。
何にもしたくないというわけではないのですが、具体的に何かを目指すと、限定的になってしまうような気もしていまして…。
「あれはできた」、「あれはできなかった」にこだわりすぎても虚しい気もしますし(もちろん、人によると思います)、私個人の想像しうるものなんてたかが知れていますので、そこを決めず、方向性だけ決めてみたいと思いました。
で、それは何かと申しますと…
「ジャッジメント」をしない。
がいいかなと思いました。
平たくいうと「いい」とか「悪い」とか判断してしまわないということです。
「いい」「悪い」じゃなくて、過程で何を得たか
なぜそんな風に考えたかというと、何につけても結果というものは、極論、死ぬまで出ないものなんじゃないかと思うようになったからです。
例えば…
ある仕事Aに就きたいと思いました→いざ就きました→思っていた仕事とは違って辞めたいと思いました→Bという仕事に就きました→(…続く)
ある仕事Aに就きたいと思いました→その仕事に就くことは叶いませんでした→別の仕事を探しました→Bという仕事に就きました→(…続く)
ルート1と2は仕事Aにトライした結果は違いますが、その続きでは同じ結果になっています。
でも仕事Aに就くことが成功した場合は、とても嬉しく、誇らしく思ったでしょうし、仕事Aに就くことができなかった直後は落ち込むし、何が間違っていたのか自分を責めたりすると思うんです。
でも、もっと長い目で見たら同じようになることだってあります。
実際の生活ではそういう挑戦&結果というのは細かく多岐にわたっていますから、もっと複雑です。
もう、何がいいか悪いかなんて、そんな短いスパンで決めてしまえない。
というか、もう「いい」とか「悪い」なんてないんじゃないかと。
ただ、ルート1と2では「得るもの」が違います。
1では願いが叶った嬉しさを経験できますし、自分に自信が持てるでしょう。
2では願いが叶わなかった時にどんな気持ちを味わうかを経験し(それは人との気持ちの共有に繋がる経験ですよね)、新たな道を見つけた自分に自信を持てる。
さらに、一度は叶わないと思ったことが、後々叶うこともある。そういう喜びは簡単に叶った場合とは比べ物にならないくらい大きい。
そういうこともあると思います。
だから、ただただあるがまま、起こることを受け止める。
それに終始していればいいんじゃないかと思いまして。
いちいち落ち込んだり、自分を責めたりしなくていいじゃないか、と。
ポジティブシンキングなんて言葉がありますが、そういう”めっちゃ健全で強いイメージ”ではなくて、私の場合「転んでもただでは起きない」くらいのニュアンスが近いかも知れませんが(笑)
出来事に対してだけじゃなく、人に対しても同じことで「あの人のこういうところはいい」、「あの人のこういうところはどうかと思う」というのも不要だなと思います。
状況が変われば人の動きは変わるし、時間が経っても変わるし、こちらの受け止め方も変わるし。
だから、ただただその時その時でそのまま受け止めればいいのかな、なんて思うようになりました。
まだまだ結果は出ていない…というか、そもそも何も終わってないのです。
仕分け結果
年明けからえらく抽象的な話になりましたが、今年のイメージとしてこんなことを考えつきました。
ということで、ジャッジメント、手放します。
本年もよろしくお願いいたします。
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