忘れられない本というのがあるとすれば、私にとってこの本でした。
それ以降の私の考え方に大きな影響を与えてくれた本かもしれません。
いわゆるハウツー本であれば一度読めば気が済むのでしょうが、この本は読めば必ずやる気をむくむくと起こしてくれる本なので、定期的に思い出すんです。
久しぶりに『ガラクタ捨てれば自分が見える』を読み返してみた
といっても、所有しているわけではございません。
図書館から借りて来ました。
以前、読んだ時も図書館から借りております。
先日記事にしたエピソード以来、久しぶりにこの本を読みたいな〜と思っていたので、また読んでみました。
(本当は「新」バージョンが読みたかったのですが、図書館になかった為ひとまずこちらを読みました)
とにかくこの本、読んている最中から体がムズムズして、たとえ夜中であろうとガラクタを捨てたくなってしまうことでおなじみ(?)ですが、今回もまた途中でごそごそやってしまいました(笑)
この本には何か魔法のようなものがかけられているに違いないとすら思えてしまいます。
さすがに3回目だったので「ガラクタ」とは何か、「ガラクタ」があることでどんなことが起こってしまうかということは随分と身についているように思えるのですが、盲点になっているところも、改めて気付かせてもらいました。
おそらく、私のその時々の状態によって必要なアドバイスが違う為、読むタイミングによって印象に残る項目は違うのだろうと思います。
今、私に必要な(と思われる)アドバイス
第十章 収集癖 という項目より(聖書みたい…)
でも人生は常に変化していて、それらの集めたものは、本質を自分のエネルギーの中に取り込み終われば用済みなのです。そしてもう何か新しいことを始めて良いのです。
私自身、すごく思い当たる節があります。
一時期でも愛用していたものとか、便利に使っていた記憶のものって、「自分にとって必要なもの」という認識のロックがかかってしまってるんですが、現実的にもう数年使ってなかったりします。
そして、他のものを動かす時に「ちょっと邪魔だな」とか、「そういや長いこと使ってないな」なんてふと思ったりするんですよね。
「人生は常に変化して」いるということは、よく認識していなければいけないと思いました。
「その時」の自分と「今」の自分では、必要としているものが違う。
それが、吸収すべきモノを吸収し尽くしたことを感謝して、手放すタイミングなのかもしれません。
また、本の中ではその変化がごく短い一時的なものもあることについて触れています(「精神的にバランスの悪い日」という表現がされています)
だから、例えばそんな日に買った服は、次の日やそれ以降、全く自分に似合わないということがあったりするのだとか。
でも、そのちょっと調子が悪い日の自分にはとても似合っていたのです。
これについて友達と喋っていて盛り上がった話があるのですが、よく「なんであんな人と付き合ってたんだろう?」なんてことがあるけど、きっとこういうことなんだな、と。
ちょっといつもの自分とは違う「波長」のような時期で、そんな自分とはよく似合っていたのだろうと(笑)
なんとなくその場にいた全員が腑に落ちて、大笑いしたのでした。
そしてもう一つ…
第十一章 紙の「ガラクタ」 という項目より
これは「いつの日か、必要になることがあるかもしれない」シンドロームの一種で、運命は必要な時になっても必要なものを運んできてはくれないという、恐れからくるものでした。
やはり私にも過去に便利に使っていた記憶が邪魔をして、また使うだろうと思い込んでいるものが残っていました。
そして、手放したらまた手に入れるのが大変だろうと思ってしまうんですよね。
でも上記のように自分の未来を信用しないなんて、良い訳がないですもんね。
それに、言い換えてみれば、その時ちゃんと手に入れているのだから、次に何か必要になっても同じように手に入ると思っていいのではないかと思うようになりました。
もう、実績があるということです。
また同じものが必要になるとは限らない。というか、経験上それほどないように思います。おそらく、次に必要になるのは違うモノでしょう。これではいくら保管していても埒が明かないとも思えてきました。
うん。また次へ進めそうです。
たまに読み返してみるといいかも
今回で3回目の読書でしたが、今回は前回と違う項目が印象に残りました。
やっぱり、その時々で自分も変化しているようです。
とにかく、モノは手に入れたからといって一生添い遂げる必要はないんだということを、よく覚えておこうと思いました。
何もかも開放してスッキリさせたいこの季節に、しっかりモノと向かい合いたいと思います。
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