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映画「ラストレシピ 麒麟の舌の記憶」を見ました。《感想》”つながり”には時間も距離も関係ない

嵐/J関連

は〜…泣いた。泣きました。
泣いたっていっても悲しい辛いものじゃなくて、あったかい涙でした。
目から水がジワ〜っと…。

伝えたい想いっていうものは、途切れそうになっても、絶対誰かが引き継いでちゃんと伝えられていくものなんだな、「人の世」ってそういうものなのかな、ってすごくあったかい気持ちになりました。

「いい映画」を見たって感じが、すごくしています。
見た直後なので、考えがあっちにこっちに散らかってますが、まずは”新鮮な”感想を綴ってみたいと思います。

※以下、どうしてもネタバレをしてしまいます。これからご覧になる予定の方は回避なさって下さい。
何にも知らず、考えずに”すっと”見た方が絶対にいいです。

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いろんなものが、ことが、つながっている

他人事…じゃなかった!

まずはこの物語の大きな骨格、”主人公 充が追いかけていた人(山形直太朗という料理人)が自分のおじいちゃんだった”こと。

映画の予告なんかで知っていた前知識としては「同じく麒麟の舌を持つ天才料理人」の足跡をたどるお話だと思っていたのですが、それがDNAだったとは…!ということですね。

私、迂闊にも(?)普通にびっくりしました。

私も随分スレた大人なもんですから、映画なんかを見ていても先を読んだりしながら、っていうことが癖みたいになってたりするんですが、今回だけは普通に、素直に、充と同じ目線で物語をたどっていっていました。

山形さんの娘さん(お母さんなんだけど)のお店の火事の””を聞いていて、それが幼い頃の自分の”記憶”と完全に重なった瞬間の充の”目”ですね。
私も「あんたか!?」って普通に思っちゃいました(笑)
さすがのニノのお芝居なのですが、私もその瞬間までそんなこと考えてもみなかったのでびっくりしました。

余談ですが、ナノックスのCMでニノと共演している女の子は、充のお母さんの子供時代を演じた子役さんだったんですね。
映画を見た後だと感慨深いです(笑)

歴史は繰り返す…というのは個人レベルでも起きること

それで、ちょっとしたことが腑に落ちる。

私が思い出せるのは、充が鎌田さんを訪ねた時に出された鮎の春巻きを「塩が強すぎる」みたいに言ってたのですが、それは鎌田さんが若い時に充のおじいさんである山形さんにも言われていたこと。

隔世遺伝なんて言葉がありますが、充は山形さんの生まれ変わりじゃないか?くらいに、鎌田さんはその時思ったんじゃないかな、なんて思いました。

鎌田さんは山形さんの助手として甲斐甲斐しく務めながらも、実は裏の任務を背負っている人で、心情的には敬愛していた山形さんを陥れることになった時「すいません!すいません!」って言ってたのが、それからまた時が経って、孤児になった山形さんの娘さんに事情を説明した時にも「すいません!すいません!」って謝って…。

2人の役者さんが若い頃と現代で分担してお芝居しているので、容貌なんかも全然違うのですが、そこは全然違和感なくリンクして見ることができました。
それは他の役の方についても同じで。

いろんなヒントが散りばめられているそうですから、私が見過ごしてしまったものも沢山あったと思います。
この映画は、すごくそれが自然に埋め込まれてるんですよね。
だから説得力がある。
自然だから説教臭さみたいなものは全然ありません。

でも、それに気づいても気づかなくてもいいんでしょうね。
気づかなくても自然の流れで、落ち着くところに落ち着きますから。

みんな、一人じゃないんだね

山形さんが奥さんの千鶴さんに「人を信用せず、自分一人でやろうとしてしまう」と言われたことは、現代で充が兄弟同様に育った柳沢さんにも言われていること。

そして、周りの人の助けを受け入れ、一つになれた時に成長できる。
同じことが繰り返されているのだと思いました。

充も自分は孤独だと思い込んでいたのかもしれませんが、実際はたくさんの周りの人の助けを受けている。
家族は「繋がっている」とわかりやすいけど、そうでない血の繋がりのない人でも、関わりのある人からは何かしら助けられている。
そして多分、今、生きている人だけじゃなくて、亡くなったおじいさん、おばあさん、お母さんやお父さんの助けもあったような気がしてなりません。

いろんな人の手を辿って、いろんな思いも一緒に積み重ねながら届けられたレシピをめくるシーンはジーンときました。
いろんな人の手で、どんどん更新されていってるんですよね。
山形さんもレシピは完成していない、これからも進化していくものだと言っていましたが、それはレシピ自体の完成度だけの話じゃないと思いました。

このレシピにまつわるエピソードで充は成長できたし、何よりも精神的に救われたんじゃないかなと思いました。

最後に、父親がわりだった方の遺影に思い出のカツサンドを供えて、それを自分も頬張って美味しいと思えたこと(多分、初めて心から。技術的なことではなくて)、そして涙が溢れてくるというシーンはやっぱり印象に残りましたね。

心の澱がほぐれて涙になって流れ出て、浄化されたんだなって感じがしました。

それは大きな大きな…何か

血の繋がりはもちろん、血が繋がっていなくても、人は何かでつながっている。
「六次の隔たり」(全ての人や物事は6ステップ以内で繋がっていて、友達の友達…を介して世界中の人々と間接的な知り合いになることができる、という仮説:Wikipediaより)なんて言葉があるけど、本当にそうかもしれないと思いました。

本当は世界は大きな大きな何かで繋がっていて(包まれていて?)、それは大きすぎて自覚すらできないくらいだけど、時々こうやって何かと繋がっていることをわからせてもらって安らげるんじゃないかって思います。

そして、それがなんだか嬉しいと感じられる映画でした。

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